2015/11/30

登録駅紹介・・・2015/11/28



#1522 遠州鉄道 鉄道線 新浜松(しんはままつ)駅
【所在地】浜松市中区
【開業】1927(昭和2)年
【乗車人員(日)】7,586人
【駅名変遷】旭町(1953)

#1523 遠州鉄道 鉄道線 第一通り(だいいちどおり)駅
【所在地】浜松市中区
【開業】1985(昭和60)年
【乗車人員(日)】1,373人

#1524 遠州鉄道 鉄道線 遠州病院(えんしゅうびょういん)駅
【所在地】浜松市中区
【開業】1958(昭和33)年
【乗車人員(日)】872人
【駅名変遷】遠州浜松(1985)遠州病院前(2007)
 
#1525 遠州鉄道 鉄道線 八幡(はちまん)駅
【所在地】浜松市中区
【開業】1930(昭和5)年
【乗車人員(日)】1,042人
【駅名変遷】繭市場前(1951)遠州八幡(1985)

#1526 遠州鉄道 鉄道線 助信(すけのぶ)駅
【所在地】浜松市中区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】1,157人
【駅名変遷】助信(1923)遠州助信(1985)

#1527 遠州鉄道 鉄道線 曳馬(ひくま)駅
【所在地】浜松市中区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】1,251人
【駅名変遷】島ノ郷(1923)遠州島ノ郷(1951)遠州曳馬(2012)

#1528 遠州鉄道 鉄道線 上島(かみじま)駅
【所在地】浜松市中区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】1,556人
【駅名変遷】上島(1923)遠州上島(2012)

#1529 遠州鉄道 鉄道線 自動車学校前(じどうしゃがっこうまえ)駅
【所在地】浜松市東区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】924人
【駅名変遷】市場(1923)遠州市場(1966)

#1530 遠州鉄道 鉄道線 さぎの宮(さぎのみや)駅
【所在地】浜松市東区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】1,050人
【駅名変遷】共同(1923)遠州共同(1966)

#1531 遠州鉄道 鉄道線 積志(せきし)駅
【所在地】浜松市東区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】860人
【駅名変遷】松木(1923)遠州松木(1962)

#1532 遠州鉄道 鉄道線 遠州西ヶ崎(えんしゅうにしがさき)駅
【所在地】浜松市東区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】735人
【駅名変遷】西ヶ崎(1923)

#1533 遠州鉄道 鉄道線 遠州小松(えんしゅうこまつ)駅
【所在地】浜松市浜北区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】1,060人
【駅名変遷】小松(1923)

#1534 遠州鉄道 鉄道線 浜北(はまきた)駅
【所在地】浜松市浜北区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】1,492人
【駅名変遷】貴布禰(1923)遠州貴布禰(1977)

#1535 遠州鉄道 鉄道線 美薗中央公園(みそのちゅうおうこうえん)駅
【所在地】浜松市浜北区
【開業】1951(昭和26)年
【乗車人員(日)】1,045人
【駅名変遷】北浜(1977)北浜中学校前(2007)

#1536 遠州鉄道 鉄道線 遠州小林(えんしゅうこばやし)駅
【所在地】浜松市浜北区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】1,257人
【駅名変遷】新原(1923)
 
#1537 遠州鉄道 鉄道線 遠州芝本(えんしゅうしばもと)駅
【所在地】浜松市浜北区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】622人
【駅名変遷】芝本(1923)
 
#1538 遠州鉄道 鉄道線 遠州岩水寺(えんしゅうがんすいじ)駅
【所在地】浜松市浜北区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】410人
【駅名変遷】岩水寺(1923)
 
#1539 遠州鉄道 鉄道線/天竜浜名湖鉄道 天竜浜名湖線 西鹿島(にしかじま)駅
【所在地】浜松市天竜区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】1,414人(遠鉄)、216人(天浜線)
【駅名変遷】鹿島(1923)遠江二俣(1938)

#1540 東海旅客鉄道 東海道本線/東海道新幹線 浜松(はままつ)駅
【所在地】浜松市中区
【開業】1888(明治21)年
【乗車人員(日)】36,197人

 

2015/11/27

「死ぬまでに全駅」(180) #0391 芝山千代田駅

#0391 芝山鉄道 芝山鉄道線 芝山千代田(しばやまちよだ)
東成田
【所在地】千葉県山武郡芝山町
【開業】2002(平成14)年
【乗車人員(日)】809人

千葉県山武郡芝山町にある、
芝山鉄道線の駅。
線路上が境界になり、西半分は成田市に入る。
 
芝山鉄道は第三セクター方式で2002年開業。
成田空港のために東西の交通が
分断されてしまうための補償として建設された。
会社設立から開業まで19年かかった。

駅前には「はにわ」の記念写真立てが。
そこには「日本一短い鉄道」とある。
当路線は東成田~当駅間の2.2kmしかない。
 
改札口。
一日の乗降人員は1,472人。
ICカードには対応していない。
 
当駅には京成線、京急線、都営地下鉄に
乗り入れる電車も来るが、
ICカードが使用できないのはちょっと不便。
 
ホームへあがる階段。
案内看板にも3社の名前がある。
実際、乗り継ぎはあっても
都心までそれほど時間は要さない。
 
ホームは1面1線。当路線は全線単線。
階段のほかエレベーターが使用できる。
写真奥にはガラス張りの待合室もある。
 
先述のように、朝夕のラッシュ時には
京成、京急、都営地下鉄との直通電車が
走るが、日中は京成成田との間を
4両編成の電車が往復するのみ。
  
こちらは京成の3000形電車。
自社の車両は3500形4両編成1本のみ。
1991年以前は京成本線だった東成田線を通り、
京成成田へ至る。
 
線路の終端部。
この先、横芝まで延伸が検討されているが、
これ、開通すると意外に便利かも。
 
東成田方面を撮影。
この先進むと地下区間に入る。
全長2.2kmのうち、1.2kmがトンネル部。

隣接して成田空港の整備場エリアがある。
どんなに早朝でも、深夜でも、
天気がよかろうと悪かろうと、
電車内が無人になることはない。
なぜなら、
当路線の電車には必ず警官が乗り込んで
警備にあたっているからだ。
そんな場所のミニ鉄道の終着駅。

 


撮影日:2013/5/25

2015/11/26

「死ぬまでに全駅」(179) #0508 西富士宮駅

#0508 東海旅客鉄道 身延線 西富士宮(にしふじのみや)
富士宮|沼久保
【所在地】静岡県富士宮市
【開業】1927(昭和2)年
【乗車人員(日)】1,332人
【駅名変遷】大宮西町(1942)
静岡県富士宮市に所在。
JR身延線の駅。
 
あまり広くはないが駅前の広場があり、
「ゆたかなる明日へ」と題された像がある。
昔ながらの「駅前」の風景。

富士宮市中心部から西寄りにあり、
周辺は商店街があって下町風情。
やきそばのおいしい店もあるかもね。
 
駅舎内、改札付近のようす。
一日の乗車人員は1,332人。
 
ICカード読取機が見えるが、
JR東海の「TOICA」が利用できる。
ただし身延線は富士から当駅まで。
 
跨線橋を渡ってホームへ下りる。
島式1面2線で電留線3本を持つ。

 
こちら2番線は下り甲府方面、
反対側が1番線富士方面だが、
時間帯や電車によりまちまち。
  
電留線には
電車が留置されていることが多く、
朝には当駅発熱海行き、静岡行きなど
東海道本線に乗り入れる電車もある。

富士方面を撮影。
ざっと勘定して、
富士駅を発着する電車は3/4が
富士駅と当駅間の区間運転である。
 
甲府方面を撮影。
この先県境まで富士宮市だが、
乗客の数はがくんと落ち、
線路も単線になる。

富士市と富士宮市を結ぶ
都市間輸送は当駅まで。
ここからは富士川沿いを北上する
山岳路線へと変貌する。
 




撮影日:2013/8/3

2015/11/25

「死ぬまでに全駅」(178) #0061 新逗子駅

 

#0061 京浜急行電鉄 逗子線 新逗子(しんずし)
神武寺|
【所在地】神奈川県逗子市
【開業】1930(昭和5)年
※1985(昭和60)年に京浜逗子・逗子海岸駅が統合
【乗車人員(日)】12,004人
神奈川県逗子市にある、
京浜急行逗子線の終着駅。
こちら北口で、JR逗子駅とは200mの距離。
 
駅ビル「ニート新逗子」は小規模の駅ビル。
コーヒーショップ、ドラッグストアなどが出店。
 
改札は南北2ヶ所にある。
こちら北口改札。
 
北口は改札を抜けると
ホームまで100mほどの
高架連絡橋を進む。
 
高架橋の通路内部。
天井がドーム形状で独特。
 
ようやくホームへ降りる階段があらわれる。
もともと当駅のある場所には
「京浜逗子」「逗子海岸」という
ふたつの駅が近接して設置されていた。
 
両駅は1985年に統合され現在に至る。
北口改札からホームまで距離があるのは
北口にはもともと京浜逗子駅駅舎があり、
その利用客に配慮したため。
 
かわって南口駅舎。
こちらは旧逗子海岸駅より手前に設置。

この先に京急バスの車庫があるが、
逗子海岸駅はその場所に設置されていた、
 
南口改札のようす。
一日の乗車人員は12,004人。
この数字はJR逗子駅の約4割。

改札内から撮影。
ドーム型の高い天井は
旧湘南逗子駅駅舎を模したものという。
 
逗子線は全線複線だが、
当駅のホームは単式1面1線。
 
やってくる電車は羽田空港行きの
いわゆる「エアポート急行」で、
朝ラッシュ時には特急も運行される。
ただしどちらも逗子線内は各停。
 
少年時代、急行といえばおもに
神奈川新町~逗子海岸間の運行。
吊り掛け駆動の500形が充当されていた。
重苦しいモーター音と鉄粉の匂いを発し、
最高に魅力のある車両だった。
wikipediaでその走行音が聴ける。
500形に乗るためだけに
この駅にやってきた思い出が残る。

 



撮影日:2012/7/28