2017/06/03

ユニフォームが水色だった頃。



読売巨人軍は創設80周年を迎えた2014年、
ビジター用ユニフォームを、懐かしい
スカイブルーとした。自分には年代的に
原、中畑、江川、クロマティといった印象だ。

プロ野球ファンとして40年。子どもの頃、
この水色のユニフォームがどうしても
好きになれなかった。
濃い。濃いよ。暑苦しいしやぼったいし
センスがない。そんな印象しかない。

そもそも、なぜビジター用のユニフォームは
グレーや水色なのだろうか。
昨今の復刻版や企画ものユニは特例だろうが、
野球規則1-11-(b)-2に、
「ビジターチームは色つきの生地の
ユニフォームを着用する」よう
定められているからだ。

さて、水色のユニフォームの登場は
70年代前半のこと。
ユニフォームの素材にニットが
用いられるようになってから。
鮮やかな色の発色が容易になったのだ。
カラーテレビの完全普及もこの頃か。
また、メジャーの影響も大きい。
78年に来日したシンシナチ・レッズほか、
各チームがこぞって
ビジター用ユニフォームを
スカイブルーとしていた頃だ。

それまで水色のユニフォームが
なかったわけではない。
昭和40年代だけでも中日、ロッテ、
サンケイなどのビジター用は薄い水色だった。
それはそれでなかなかかっこよかったのだが、
ニット製のユニフォームになって、
色味がビビッドな水色が登場してきた。

ド派手なユニフォームは
昭和48年の太平洋を筆頭に、
大洋、ヤクルト、中日などが採り入れ、
やがて全球団に伝播していった。
地味ユニで最後まで通した近鉄は、
「他球団がカラフルになっていくので
自分たちもそうせねばならなかった」と
誰かのインタビューで聞いたことがある。
その過程で、大リーグの影響もあわせ、
「水色のビジユニ」が爆誕(笑)したのだ。


上画像は1973年以降の各チームの
「水色ビジユニ」採用年一覧である。
チーム名は1980年基準で記載した。
限定モノはもちろん含まない。

75年には半数以上のチームが
忌まわしき(笑)水色ビジユニで、
79~81年に9球団が採用し頂点を迎える。
(表赤枠参照)
ちなみに常勝レオ軍団と呼ばれた頃の
西武のビジユニは、
自分の言う水色ビジユニの範疇には
入らないが、デザインがとても嫌いなので
入れてしまった(笑)

表を見ると、
大洋(現DeNA)、南海(現ソフトバンク)は
水色ユニ採用の歴史がない。
この両チームはビジター用はツートンを
採用してきた年が多く、とくにDeNAは
2009~2011年(上写真の時のビジター用)
以外は一貫してツートンだ。

また、上記両チームはデザイン的に水色に
できないユニだったが、それができたのに
そうしなかったのが近鉄だ。
74年~96年の22年間も
メジャーアップデートのない
ラグランスリーブのユニフォームで、
ビジター用は青みがかったグレー。
ここでいう水色ユニとは
完全に異なるものだった。

見事なまでの水色軍団(笑)
1983年、球宴の記念写真。
阪神にとっては水色ユニ最後の年になる。

1987年、球宴の記念写真。
近鉄のビジユニが水色ではないのがわかる。
西武を除けば水色ビジユニは2球団。
だんだんと少数派になってきた頃。


しかしユニフォームも衣服の一種。
トレンドがあり、それはつねに
時代とともに巡ってゆく。

80年代に入り、海の向こうのメジャーでは
シンプルでクラシカルなデザインの
ユニフォームが流行りとなってきた。
これはヤンキースやレッドソックス、
ドジャースなど古豪チームが伝統を重んじ
カラー化の流行に乗らず、
彼らより新興のチームがいつまでも派手ユニで
浮いた存在になったからかも知れない。
また若者のファッションもモノトーンの
落ち着いたものにシフトしつつあった。
(証言者自分笑)

NPB各球団のビジユニにも変化が出てくる。
まずクラシカルの流行に真っ先に乗ったのが
阪神。
1984年よりビジユニをグレー調に戻し、
1年前に猛虎マーク以外の黄色を廃した
ホーム用に調子を合わせた。
南海も緑の彩度を落とし、
濃緑色のチームカラーを復活させた。

それと歩調をあわせ水色ビジユニは
80年代後半からその版図を狭め、
90年代にはいよいよ少数派になってしまう。
巨人も第二次長嶋政権誕生時にビジユニを
グレーに戻した。

最後まで水色ビジユニにこだわったのが
ヤクルト。
そのヤクルトも98年を最後にそれを捨て、
NPB12球団から水色ユニは姿を消すのである。

今年、2017年。
巨人のビジユニは3年でグレーへと戻った。
球界の盟主に右に倣えとはいかなかった。
やはりデザイン的に
受け入れられなくなっているのか。
幼少の頃からの自分のファッション感覚は
正しかったのかも知れない。

嫌いな水色ビジユニだが、
日本プロ野球の
数々の名場面を思い起こすとき、
そこにはその記憶とともに
鮮やかなスカイブルーの「戦闘服」も
色褪せず想起される。
嫌いだが、懐かしいこの感覚は
いつでも自分の記憶の中から
呼び出すことができる。

ちなみにこの40年、
自分の中でのベストデザインユニは
74~86年の中日のホーム用。
最も嫌いなのが
その時のビジター用である。

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